自分の存在を抹消したい気持ち

不安になったり苦しくなると、胸が締め付けられてモヤモヤしたものが心を覆う感覚になるけれど、実際は見えていないものだけど、心臓のあたりがチクチクしたりもする。

それから突然泣きたくなって涙は止まらなくなり、そして思うことは…

「なんで私は生きてるの?生きてちゃダメなのに」と、思うことがあった。

ばかばかしいかもしれない。でも、自分の存在価値マイナスと思うものがあったから、存在抹消の気持ちになる。

遺族が悲しむ…とかの自死ではなく、自分が生まれたという記録すらない存在抹消に値する人間だという想いがずっと抜けなかった。

それと同じくらいに生きていきたいって気持ちも当然あった。けれど、積み重ねてしまう自己否定は止まらずに…抜け出せなくなっていた。

その想いと向き合うも解決方法がわからない。

気持ちを切り替える、体を動かす、気分転換になる別のことをする、静かに落ち着く環境をを作る、原因と結果の法則を考える、言葉に出して心の在り方を変える。

様々な方法があるけれど、ふとした瞬間に以前の自分に戻っている。

苦しい記憶は離れてくれない…

楽しい記憶だってあるはずなのに、どうして苦しいと同じように楽しいを思えないのだろう。

生きてること自体に罪悪感の気持ちが拭えない。

ある時に夢をみた。

苦しい様々な出来事と向き合っている私が感情を吐き出している夢。当時も感情は揺れてキツイと思っていたけれど、夢の中の自分はそんなものじゃなかった。

発狂と錯乱。。言葉にするとこんなイメージに近かった。

私の中にはこんなものが眠っていたんだと思った。

その夢を見た後に、心のコントロールの学びの本質について気づく言葉に出会う。

知識を得たからすぐに出来るのではないということ。その知識を体得するために継続的な学びがあるということ。

言葉にすると当たり前のことなんだけど…

日々の生活でも当たり前と言われることが出来ていないことも多々あるから、心となると当然難しい。

まだ、自分の中で整理が出来ていないから、言葉が見つからないけれど…

夢を見た日から始めた自分との向き合いをすることで、一つのものを見つけた。

『自分の軸』まだ、きちんと根付いていないから、これからも学ぶ。

自分の中に負の感情があることを認めたくない。もっと冷静でいたい。自分はこんな人間じゃない。

その自分と向き合うことをずっと避けてきた。

いい人でいたい、揉めたくない、嫌われたくない、愛されたい、すべて自分都合のために作り出した良い人の自分は負の感情を持っていないんだと…

実際に何かの瞬間にタガが外れてしまえば、作り上げてきた偽物の良い子ちゃんの自分は一瞬で吹き飛んでしまうことになる。

(偽物の良い子ちゃんは、負の感情を受け入れなかった私)

ずっと認めたくなかった自分の感情を認めた時、不思議と心地よかった。

やっと自分に受け入れてもらえた自分。

苦しい出来事は、誰が悪いとか良いとかではなくて、ただ自分の中に湧き上がった感情と向き合うだけ。

苦しいってもがくのは、出来事に対してよりも、閉じ込めた自分の感情に対してなのかなって思ったから、自分と向き合うしかないんだなあ。

存在抹消の気持ちはもうない。。

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