自分のために生きている感覚

自分らしく生きていくって、傲慢とは違うけれど自分の意志はある。

けれど、育った環境の中で自分の意見を伝えられずに成長してきてしまったら難しい。

全ての出来事に対して、意見を言えなかったわけではないけれど、心の奥にある『引っかかり』が、そう思わせてしまっている。

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心の奥の『ひっかかり』

心の奥に何かがある。だから『ひっかかり』

その何かに気づいて見つけるまでは、モヤモヤしていて気持ち悪い。でも気持ち悪いのに、その『ひっかかり』がなくなることも怖いと思っている。

どんなに、良い本を読んでも、素晴らしいと言われるカウンセリングを受けたとしても、自分で消していかない限り永遠に『ひっかかり』は心に残ったままになる。

自分の今までの人生がすべて正しかったとは思っていない。

親の愛情を感じられずに育ったことがひっかかりの原因の一つだったとしても、親のせいにしていればそれが無くなるわけでもない。

原因に固執していたら『ひっかかり』は、いつまでも無くならない。

原因を探すことって…

自分の心の整理だから、心にできた傷や苦しいと思うことの原因を探すことになる。

けれど、一度受けた苦しみと感じてしまった出来事が原因として認識されるだけならいいけれど、その苦しみの時間をまた自分の脳内で味わいに行っている。

トラウマになっているから仕方がないんだけれど、ある時に思う。

過ぎ去ったその出来事のトラウマを解決したくて相談したり、悩んだり考え込んだりしてるけれど、それって同じ苦しみを味わいに行ってるような状態になるのかな…と。。

探して探して、見つけた原因と向き合って解決したこともあるけれど、対症療法でしかなかった。根治療法をしない限り永遠と苦しいまま…

根治療法に辿りつけたら

色んな出来事をキッカケに、自分の気持ちと向き合うことをしなくちゃ前に進めない状態になって…

何でここでこれ?・・・(-_-;)

みたいな状態だけれど、それは確実に前に進むキッカケとなっている。

でも、その出来事を不運だとか諦めとかになった場合は、また同じような出来事がレベルアップして襲ってくる。

その似たような出来事に遭遇するのは、どんな理由であれ、自分の心が整理整頓できていないから。

出来ない自分を責める必要もないことに気づく。その時の一歩を次の糧に出来れば、自分の望む結果を得ることが出来るから。

どこに行っちゃったんだろう…不安

不安な気持ちが消えてから、不思議に思う。

あんなに怖くて不安で、寂しくて逃げたくていつも泣いて悲しんでいたのに…どこ行っちゃったのだろう。

探さなくてもいいんだけど、あれほど逃れられないと思っていたのに、全くないから、どうしのかなぁと…(^^;)

まともな人生なんて歩んでないよ、自分が傷つけられたというけれど、自分も人を傷つけてきた。

その全部が自分だから…自分で自分を否定しない。

今まで否定してきた自分にならないようにしていくだけ。

生活リズムを見直して、取り入れたことがある。それに慣れるまでには、お金はかからずに少々時間はかかるけれど、やり遂げていく。

この結果が出る時が楽しみで仕方がない。

それなので、明日もどうぞ宜しく…私。

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