自分がHSPだと思ったら…

最近、HSP(Highly Sensitive Person)ハイリー・センシティブ・パーソンという言葉をよく聞きます。

書籍も出ているし、心療内科のHPにも書いてあったりする。

その中で自分が当てはまったと思ったことを書いているだけなので、専門性はありません。

目次

繊細な自分だけでなく、すべての自分に嫌気がさす

あまりにも周りの刺激に弱くて、自分い嫌気がさしてくることがある。

常に周りを気にしているけれど、自分の本音の意見は伝えることが出来ない。

自分の意見をきちんと伝えられる友達のように、どうして自分は出来ないんだろうと…。。

きちんと意見を伝えられるということは、理不尽な行動とは違うとわかっていても、私には出来ないと思ってしまう。

けれど、もうその状況にも疲れていて、どうしたらいいのかわからない。心療内科や精神科に行く寸前だし、通院していてもおかしくない状態にある。

それでも、周り上手くお付き合いをしているように見えるのは、前述した出来ない自分に嫌気がさすことと同様に、自分が疲れていることからも逃げることは許されないという思考にもなっている。

とにかく、自分の思考に嫌気ばかりで、自己否定は増えていく。

気分転換の行動が…罪悪感。

疲れたら、周りに気を遣わずに自分の意思を尊重して動いてみるということがある。

けれど、自分の意志を尊重した時点で。自分のわがままを通してしまっていると感じてしまい、罪悪感を感じてしまう。

疲れた自分へ、頑張った自分へのご褒美の大好きなケーキを食べることすら罪悪感を感じてしまい、おいしいと思えなくなる。

自分の好きなことをすることへの罪悪感を感じずに心から楽しんでいくことが出来るようになれば、繊細の感受性は強力な自分の良い持ち味となる。

私にはそこからの時間が必要だった。

自分が楽しんでもいいと思えるようになる

自分が心から望んでいることを、誰もいない部屋で言葉に出そうとした時に…言えませんでした。

自分の本心を出してはいけないと、心のブロックをかけてしまっていたからです。

自分の興味を持つことよりも、身近な人の興味を優先してしまうことを大切にして生きてきたからです。

でも、それは自分の感情を常に抑え込んでいる。一見、人間関係は良好に見えるけれど、そこに自分はいないの。

しかも、それに気づかないようにしている自分が居て、いつも何か苦しい感覚から抜け出せないことはわかるのに、原因がわからない。

もしね、自分の本当の気持ちに気づいてしまったら、それは、今上手くいっている人間関係を悪化させてしまうことがとても怖かったから、気づきたくない。

でも、自分が苦しい時点で、その人間関係は終わっていると、今はそう感じられるようになったけど、当時は自分より他人優先だったから…

心から楽しめるようになると…

一度、罪悪感を忘れて、自分のやりたいことをとことんやってみるのもいいかもしれない。

もちろん、借金をして、生活ができない状態になってまでやるということではなく、自分を甘やかすことに自分で許可をしてあげるということです。

これも、最初は上手く出来ないけど、少しずつでいいし、出来なかった自分を責めることは必要ない。

自分を守れるのは自分しかいない。

一つ一つ、自分の思考や行動を大切にしていけるようになると、同じ環境のままでも、もっと楽に生きていけるようになることを実感していく。

私が今、自分のためにしていることに対して、周りからはどう見えているかが気になって仕方がありませんでした。

その頃は、まだ罪悪感を持っていた時です。

でも、罪悪感が消えていくと同時に、「自分の行動がどう映るか」というのも無くなっていき、「自分がどう楽しみたいか」という思考になっていることに気づいていきました。

自分の思考を優先することと、理不尽にワガママし放題になるということは別物だということにも気づければ、罪悪感も減っていくから。

一度しかない自分の人生を楽しんで生きたいから…

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