自己肯定感を上げる方法が書いてある本やネットの情報はとてもたくさんある。
けれど、自分に合う方法を見つけられなければ、自己否定を繰り返してしまう。
どうしたら、本当に自己肯定感が上がったと実感できるのかに悩んだ想いを綴ったみた。
自己肯定・自己否定の問題ではなく…
落ち込んでるとか、自己否定をしてしまうとかの問題ではなく、生きている価値がわからない。
ツライことや悲しい出来事があって、自分は生きているのがツライということでもない。
自分の存在が生きていることに対して、あってはならないものだと思っている私には、自己肯定感以前の問題だった。
どうして、そう感じてしまっていたのか。。。
両親に愛された記憶がない
子どもの頃に両親の愛情を感じられないと思ってしまった自分に思考の問題でもある。
私の場合は、男の子に生まれなかったことから始まる。
目に見えるような虐待ということではなかった。衣食住は整っていいたし、遊びに行くこともあった。
でも、愛された記憶がない自分には、ある日を境に自分が生きていることに許可をしてもらいたいと思うようになる。
表面上は愛されなかったということではないかもしれないけれど、私の心はつぶれていく一方だった。
大人になっても愛情を求めるようになる
自立をして好きなことが出来る環境になったのに、自分の中に出来た穴はまったく埋まらない。
人や物など何かの依存をするけれど、楽しいむことをすることに罪悪感を持ち、本当の意味で楽しさを感じることが出来ない。
楽しいと思う気持ち、やりたいと思う気持ちを持ってしまった自分を自己否定していくようになる。
ぽっかりと空いてしまった穴を埋めない限り、自己肯定感の話をしても、それは対症療法なだけで、一時だけのもの。
根っこから解決していくのが必要になるのだけど、そこを見つけるまでがとても大変。
自分が愛情不足から求めていると自覚がないから…
心の根本から変えていくために…
根本から変えていくための近道はないと思う。
近道を望むのであれば、自分のすべてを自分で今すぐい受け入れて愛することが出来ればいいけれど、それはとても難しい。
一つ一つの自分の感情を否定しないことは、たくさんの自己啓発本や心理学本にも書いてある。
その一つ一つと、どう自分が向き合っていけばいいのかは、自分で見つけなくてはいけない。
相手のためと思いながら、本当は自分のエゴのためだった…そのエゴを自分の感情にあると認めたくない。
嫉妬する女になりたくないから、物わかりのいい女を演じているだけなのに、それを認めたくない。
見苦しいと思われるような行動や感情を自分の中で認めてはいけないという思考。
そこに向き合うことが出来たから、今は前に進めたと思っている
まとめ
子どもの頃にみっともないからってたくさん言われた記憶が私にはある。
自分という人間がこういう感情を出すことは、ダメなんだと思いながら成長をしていく。
私は『マイナス』と言われる感情を抑える無意識の思考が身についていた。
でもね、嫉妬や怒りや憎しみって、確かにあまりしたくない。
でも、自分を理不尽に扱われたときは、それって当然の感情なんだよね。それに気づかずに、理不尽なことにも、笑顔で対応できるようにしていたら、自分は生きている価値のない人間だという自己否定ばかりをしていた。
いつも笑顔でいるけれど、感情には限界があり、些細な事に感情が爆発をして、コントロール不能になる。
挙句の果てには感情のコントロールが出来ない人間だと言われるようになる。
理不尽な扱いを受けたくないと言えない自分の想いを素直に出してからでないと、自己肯定感は上げられなかった。
マイナスと言われる感情に素直になったら、今は、とても楽になりました。
コメント