私にとっての依存してしまう原因は、自分が嫌いだということと、矛盾をしているけど、そんな自分をすべて理解をしてほしいと思うこと。
こんな自分は…と思いながらも、他人には「私を理解してほしい」という気持ち。
求めてしまう気持ち
自分に自信を持つことが出来なくて、気づけば自己否定ばかりをしている。
こうなってしまった原因は、子どものころの両親との関係だったり、成長していくにつれて感じた様々な経験からくるものがある。
その原因を突き止めることをしても、いったいどれが原因なのかもわからない。
仮にね、原因がわかったとしても、そこから自己肯定をしていくのは、すごく難しい。
気づけば、誰かに依存をしていて、その誰かに認めてもらえるように同じような出来事の繰り返しをしていく。
依存という形でお付き合いすることになった間柄は、恋人でも友達でも自己否定を改善していく方法にはならない。
自分を見つめていくことしか抜け出す方法がない…
寂しい気持ちになるけれど…
自分を見つめていく時間を作ると、必ず寂しくなる。
今までは、不安な気持ちを依存相手に聞いてもらって、その場しのぎで認めてもらっていたことが出来ない状態だから…
でもある時、気づけるの。
自分を見つめ始めると、不思議と良い出会いが起こっていくような感じがすることに…
人との出会いだけでなくて、自分の環境も含めて全部。
なのでね、同じ過ちを繰り返さないために、良い出会いだと思った時には、自分を見つめなおしているんだと実感してもいいと思った。
依存という場所を抜けるために…
依存という形で深入りをして、関係が壊れることの不安を持ち始めて、気づけば自分を否定をして、相手に従うようになる関係。
違和感を感じながら、依存したい相手に合わせていく。
最初は気が合うと思っていて、楽しいと感じることも多くて幸せだと思うけど、心の奥の軸の部分が変わってなければ、自分が嫌だと思う人間関係を築いてしまうことになる。
でも、ある時、自分は自分に言うの。
「この関係は違うんだ。自分は依存や寂しさから抜け出したから、大丈夫なんだ」…と、、言うけれど…
それって、自分自身に暗示をかけているだけになる。
それに気づけばいいけど、無意識にしている場合が多い。
そして、あとになって、心の苦しさに気づき始めて、また同じ繰り返しをしていたことを認識する。
その気づきは依存を抜けて、もっと楽になっていいんだよってお知らせなんだと思う。
誰を信じていくのかな。。
自分を信じないで、依存相手の言葉や思考を信じていませんか?…と、自分に問いかける。
更には、自分を信じずに否定をしていませんか?間違っていいるのは自分だと思っていませんか?
再度、確認をしてみることが、とても大切です。
自分を信じて、自分の出来ることをしていく。
自己否定をしてしまうと、一番大切な自分が壊れていくし、信頼し合える大切な人と出会ってもその関係が壊れてしまう。
最後に…
自分を信じ始めると、必ず今まで一緒にいた人は、否定をしてくる。
それを真に受けてしまうし、傷つくし、何で認めてくれないの?と、自分崩壊への道を進んでしまうことも繰り返す。
でもね、繰り返すことを理解出来た時点で、その道を選ばない自分の意志の選択が出来る場所に辿り着いたということになる。
焦らなくていいし少しずつでいいんだ。
信じるのは自分の想い…
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