私は両親にとって、一番最初に生まれた女性ですが、両親…特に父親は男の子を望んでいた。私には弟もいますが、それでも、一番最初に男の子が良かったらしい。。
物心ついた時から聞かされていた。
言葉が話せなくても感じるものはあったと思う。
感情のコントロールについて
とにかく、小さい時の癇癪はすごかったらしい。
手が付けられない泣き方?もちろん自分ではあまり覚えてない。
ただ、泣き出したら止まらなくて、過呼吸になっていたことが、今なら理解できる。
そんな私は両親にとって、感情のコントロールの出来ない子どもとなってしまった。
それは大人になっても言われ続けた。
どういう意味での感情のコントロールが出来てないのかは、私には理解できずに…、、そこに気づくまでには約35年かかった。
私自身の認識
感情のコントロールが出来ない要因を私の認識で考えてみた。
私は生まれた頃は左利きだったが、当時は左利きを嫌がる時代でもあったので、右利きに矯正された。
覚えていることは、最初に使うものはもちろん左手で持って動かす。
それがダメだと叱られるから、右手でやるけれど、今度は上手く動かすことが出来ない。上手く動かすことが出来なくて、今度はそれで怒られる。
今思えばね…、無理でしょう(笑)それで、うまく出来なくて癇癪を起していたのもあったと思う。
更には言葉を理解できない乳児だとしても、私が覚えてるくらいに呪文のように女の子で生まれたことを否定されたきたのだから、泣きたくもなる。
否定され続けた私の心には無意識にできてしまった自己否定が蓄積されていった。
大人になるにつれ…
成長するにつれ、無意識の自己否定はモヤモヤとした違和感となっている。
けれども自分は気づかない無意識のことだから、自己否定を溜め込んでいるとも思わない。
でも、違和感はどんどん大きくなっていく。
その違和感に気づくまでの時間もかかるし、気づいたあとも自分の中に溜め込んだ自己否定を浄化していくためにはすごく大変。
でも、大人になるにつれての違和感を感じ、それを確かめたいと思えることは、自己否定を抜けるための、一歩となっていることは確実だから。
どんな形が自分に合うのかを見つけることも大変だけど…
自分は否定をされていたんだと気づいた時の安堵感は不思議な感情となる。
否定されたことの悲しみよりも、私が感じていた違和感は合っていたんだって思えた。
全てを否定されてるわけではない。ご飯は食べてるし、体も健康、身体的虐待もなかったから。
でも、心の傷はなかなか消えないの。だから、痛いと思ってしまうことを隠す必要もないから…
気づきから、また次へ進んでいけるように…
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