子どもの頃に骨折をしたことを書いてみようと思います。
内容が少々気持ち悪いので、想像などをしてしまう人は、この先は読まない方がいいです。
痛みの原因がわかっているから…
骨折は3回くらいあるのかな。幼稚園の頃、肘が抜けたこともある。
中学生の頃に指の骨折に高校生の頃に鎖骨の骨折をしている。
痛かったけれど、痛みの原因は骨折だとわかる。だから痛いのは当然になる。痛みはあったけれど、…うん、痛いね。。って感じ。
原因がわかってる痛みに痛いと言ってはいけないという私の中の心理があったから、報告は…
『骨折したみたいです』だけ。。
父親の想い…
両親…特に父親は私が生まれたことを望んではいなかった。理由は男の子ではないから。。
私は両親にとっての一番最初の子ども…、弟と妹がいるけれど、一番最初の子どもは男の子が良かった父親。
父親にしてみたら他愛ない言葉だったのかもしれないけれど、私は自分が男の子に生まれなかったことを自分で呪った。
少しでも、認めてもらおうと男の子がするであろうことをたくさん真似した。
弟に負けないようにしたこともあったけれど、最終的には男の力には勝てない…というよりも、私は女の子のままでいたかった気持ちがあった。
そんな矛盾で成長した心がちぐはぐの私。
痛みに耐えること
痛いということ…よくね、ぶりっこするなって言われた。もしかしたら、父親はそれほどには言ってないのかもしれないけれど、私の心には残っている。
なのでね、骨折した痛みも、痛いと騒ぐことはぶりっ子になると思った?…というか、もう無意識に痛いと言ってはいけないって思っていた。
かなりえぐい骨折の話になるので、気持ち悪くなる方はこの先は読まないでください。
じゃあ、書くなというところだけれど、自分の記録なので申し訳ございません。
骨折した瞬間
指の骨折
まず、中学生の頃の骨折は、小指だった。
体操部だった私はマット運動の時に指のつき方がおかしくて…小指が横に外側に90度に曲がってしまった。
痛かったですが、その光景(通常ではありえない位置にある指)を見ているのが気持ち悪かったので、自分で元の位置に戻した。
顧問の先生に事情を話したけれど、骨折しているとは思われずに弛んでいるからと、部活が終わるまでストレッチなどをして帰宅した。
指は固まったまま動くことはなかったことを母親に伝えてすぐに病院に行ったら、骨折していたし、戻し方がおかしかったので引っ張ったけれど、これが限界…という状態。
今現時点では、言わなければ気づかれることはない状態ではあるのでありがたいです。
鎖骨の骨折
高校生の頃に交通事故で鎖骨を骨折した。
痛みと腕が上がらないこと…立ち上がって痛みの場所の鎖骨を触ってみたら、真っすぐじゃない…これも90度になってる鎖骨を確認。
結局、手術をしてボルトを1年間入れて治療をしてけれど…
傷は今でも残っている。
傷を気にしないとは言っていてもやっぱり気になっていたけれど、病院に勤めた時に皮膚科の先生の言葉がとても嬉しかった。
傷はとても綺麗だということを教えてくれた。
自分でも触ると違和感だったけれど、触れるようになったのでアーユルヴェーダのオイルマッサージで使用するオイルでケアを出来るようにまでなった。
痛みに耐える必要がないことを…
この話を最近、会社の人に話したけど、痛いって言っていいことだと教えてもらった。そんなことも知らなかった私。
痛いということに耐える理由って何だったんだろうと今は思う。
骨折という原因のわかる痛みは痛いと理解しやすかったけれど、心が痛いというのは形がないから、痛いと感じてはいけないと、思い込んでいた自分に気づいた。
心理学や自己啓発本で探していたのは心の痛みの原因だったことを思い出した。
想い…という見えないものだとしても、痛いと感じてもいいし、原因が見えないのに苦痛と感じてしまう自分を悪いと思うこともないし、耐えられない自分を悪いと思うことはない。
痛いと思っていいし、その逆の気持ちも大切にしていい…
自分が感じる好きな事、やりたいことを楽しむことも、好きに生きていいんだと思えた。
自分の思考の癖。子どもの頃からの…癖。
でも、両親が悪いとかそんなことは思ってないし、正直、責任転嫁なんてどうでもいい。
今の自分が何を求めて、自分らしく心地よくいられるのかだけでいい。
人付き合いも環境も、自分に合えば一緒にそこにいる、合わなければ離れていく。それだけ…。。
心地よくいられるように。。
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