敏感に反応してしまうことは、自分で変えていくしかない。
子どもの頃って、何も考えずに責任感もなく、自分の気持ちに素直で…なんだけどね。
でも、性格にもよるけど、大人の言動に対してかなり敏感に反応するし、自分の気持ちよりも優先することもある。
敏感であるがゆえに…
両親が喧嘩をしていたり、相手の文句を子どもに話してくる親っています。
両親の機嫌って子どもにはとても重要なことでね、自分が愛されていると実感できない子は、より親に気を遣うようになる。
親側からすると、愛情はあるという。(虐待は別としてね)
ここで書いている内容は、虐待というべきものかの判断はとても難しい。
感受性の強い子どもが、両親の言動や行動に敏感に反応しているとなることも多いから…
けれど、敏感の子どもの心は、愛された感覚がなく、常に不安な状態になっている。
その敏感さから、相手の機嫌をすぐに察知していまい、なるべく良くなるように自分の感情をコントロールしていく術を無意識に行えるようにしてしまう。
無意識の行動なら良いのでは?
無意識に相手の機嫌を取るようになることが、子ども本人に取ったら、気力や労力は少ないと思われる。
けれども、そもそも、無意識にやっていかないと精神が壊れてしまうための、防御の一つだと思ってもらった方がいい。
両親の争いは、誰でも嫌だと思う。
けれども、いつしか、愛されていない自分は、両親の機嫌が悪い原因は自分の存在のせいだと勘違いしてしまうことになる。
それぞれの環境にもよるけれど、愛されてないという不安からくるものになる。
両親の愛情表現は正解?
そもそも子育てにおいては、正解・不正解で決めることではない。
ただ、私の経験上、子どものやることが両親の許容範囲外になってしまうことで、常に否定をされてきた。
否定をされ続けた結果、そもそも、私の場合は、女の子に生まれたことで、すでに否定の対象になっていたからね。。
男の子に生まれていれば、もっと違ったかもしれないし、右利きであればもっと違ったかもしれない。(今は右利きになったけど)
色んな否定を聞いてしまっていると、子どもの心って敏感に反応してしまうのかなって思う。
一つ一つの言葉が、自分を責めているのか、褒められているのか?
褒められたいと、認められたいと常に思う。
それが、どんな親だとしても、そう思ってしまうのです。
子どもの世界は家の中という小さな世界。そこで得られなかった安心は社会という広い世界に出た時に、不安で仕方がない。
正解・不正解という言葉ではなくて、子どもに愛されていると伝えられることが出来たらいいんだと思う(親となっても未熟なのは変わらないから難しいけどね)
敏感な心を持ったままも大丈夫
不安を解消するのはとても難しいけど、敏感な心は持ったままでいい。
それは、自分の持ち味となる。
不安を取り除き、愛されることへの欲望の執着から抜け出して、自分で自分を満たすことが出来た時に、その心がこれからの自分を幸せにしてくれるものになる。
一つ一つ、ゆっくりと焦らずに不安を安心へ変えていくことが出来るのも、その心があるから…
もう自分を否定しなくていい。
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