自分を好きになること

私は自分が嫌いだった。でも、今は自分を大切にしたいと思えるようになった。

自分を大切にしてもいいんだよ…の方が正しい表現かもしれない。

自分で自分を大切にすることができるまで、苦しくて寂しくて、生きてる価値もないと思ったり…本当にキツかった。

でも、今という時間に出会えた。

目次

この想いになるまでの経験

今の自分でいられることが、あまりにも不思議でどう表現したらいいかわからない。

でも、あれだけ悩み苦しみ、悲しみ泣き、時には自暴自棄になりかけたこともあるし、自分を粗末に扱うこと扱われることも、仕方がないと諦めた時間を過ごした。

親子関係、両親から認めてもらえず、感情のコントロールが出来ないと言われながらも、両親に認めてほしくて両親が娯楽で作った借金のために頑張った自分。

恋愛においても、愛されるようになりたかったけど、本当の恋人として愛されたことはあるの?という恋愛しかなくて…1人の人として愛されてはいない。いつも2番目。それでも、こんな自分を相手にしてくれるだけで…って。

結婚して子どもも3人元気に生まれて成長したけど、途中は様々な問題もあって、登校拒否になったりもした。他には浮気問題や同居問題から離婚をして現在に至る。

全部、自分が悪いと思った時期もあり、生きてる価値のない人間だと何度も思った。

今の状況とこの感覚は何だろう?

今の状況は特に何も変わっていない。けれど今は、その苦しみから解放されたかのような感覚…だと思う?

正直、この感覚は今まで生きてきて感じたことがないから、「…だと思う」としか書けない。でも決定的なキッカケとなる言葉はあった。

どんなに良い知識を得ても、それをすぐに習得できるわけではないこと。

当たり前のことだけど、その当たり前が今の今までわからなかった。

たくさんの自己啓発本や心理学本をたくさん読んだり、聞いたりした。心に響くキッカケはたくさんあるのに、自分には出来なくて、どうしたらそうなれるのかがわからなかった。

色んな本を読み過ぎて、逆に疑心暗鬼になって、精神が壊れそうになったこともある。

書いてあることはどれも正しいし、その著者の方の経験が詰まったものなんだけれど、自分はどうしたらいいのかわからなかった。

学び続けること

何かを習得するのに、1日で出来ることはない。

種を植えてから、花が咲くまでの時間と同じように、キッカケの言葉という種をもらったら、そのあとは自分で育てなければならない。

当然と言えば当然のことなのに、それが府に落ちてこなかったし、種を育てるために自分の心と向き合う意味を理解出来た。

それは、荒ぶるものは全くなく、けれども抑え込んでいるわけでもない本当に静かなの。

いま、こうして思えるようになったけれど、また何かの拍子に感情が乱れてしまうことをしたくない。

そのために出来ることはこの状態を維持すること。維持の仕方はまだこれから見つけていくけれど、過去の苦しみとも向き合いながら、今の状態になれたことを残していく。

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