失敗が怖い自己否定の自分を受け入れた時…

最近、気持ちの変化があって、とても不思議な感覚です。

自己否定することばかりだったけど、そこから抜け出したのかもしれない…というのも、その感覚を知らないから(^^;)

今日も素直な気持ちを綴る。

目次

自己否定が消えたと思う理由

転職してから約5カ月、今までの自分とは違っているのを感じているし、もちろん周りの人達のお蔭でもある。

仕事に関してだけではないけれど、自信を持つことがわからなくて、自分の軌跡を否定してばかりだから、いつも泣いている状態。

自分のしていることは当然出来なくはいけないことだから、大したこともなく、逆に出来ないことは人間失格な勢いの状態の私だった。

そんな状態がずっと続いているから、息苦しくなるのは当然だけれど、今は息苦しさがなく、出来ていることは認めていいことだと思えるようになったし、出来ないことがあるのは当たり前だと思えるようになった。

完璧な人間はいないから…

完璧主義の気持ちとは違ってる?

完璧主義と言われればそれまでなんだけれど、出来ないことを否定して育ったしまった過去があるから、ミスや失敗が怖かったし、出来ない自分は存在価値がないと思っていた。

出来ていることを認める必要はなく、それは出来て当たり前なのだから、褒められることでもないと思っていた。

でも、それも思い込みではあったけれど、思い込みと思えるようになるまでは、とても長い時間がかかってしまった。

でも、完璧にしておきたかったんだな…私。

だって、ミスすると失敗すると、責められるし、否定される。。

でも、誰に??

子どもの頃のトラウマで両親??

違ったの…責めて否定をしていたのは、完璧主義を求めた私自身だった。

自分を信じること

自分を責めて否定をしていたら、自分を信じることが出来ないし、自信を持つことなんて出来ない。

けれど、自己啓発本などの情報を漁り、自身の付け方のマニュアルを探して探して、結局出来ない自分にまた落ち込んで、否定をする。

自分を信じることは、そのままの自分を自分が受け入れればいいだけだった。

不安な自分は、いつも誰かの許可をもらいに行く。

自分で自分を信じられないから、他人から信じられるものをもらいに行く。

けれど、それは自信になることは当然ない。

だって、自分を信じていなかったから…

何で突然そう思えるようになったのかな?

自分でも、どうして急にこう思えるようになったのかはわからないけれど、自分を信じて愛したいと思った。

ただ、確実にわかったことは、自分を信じていないのに他人を信じることは出来ない。当然、他人からもらおうとした信じられるものも信じていないことになる。

結局、不安の中で過ごすことから抜け出せない。それが嫌だと心から思ったの。

気持ちが変わったら…

いま、他人に依存をして求めることをやめたら、自分を磨きたくなった。心も体も大切にしたいと思った。

そして、周りにいてくれる人たちの想いが、私を大切に思ってくれてるんだと思えるようになった。

もちろん、私も大切に思っている。ずっと逢っていない前職の人に逢った時も、そう感じた。

今までは不安しかなかった。

今は安心がたくさんになった。

何かに期待をすることも求めることも…なんていうか『渇望』がなく、満ち足りてる感覚。

分離していた心と体が一つになった感じです。

これからやっていきたいこと

まずは、自分の行動で実績を作ること。

体を鍛えることも何かを学ぶことも、自分の意志がなければ出来ないし、意志を継続するから結果を得る。

その結果が欲しい…。それは世間がすごいということとかではなく、自分が望んでいるもの。

1年、2年と続けた結果が欲しい。

一つ目はストレッチ、これは毎日行ってる、その結果を半年、1年後に得るものがどんなものになるかが楽しみ

二つ目は語学、これも1年の講座になるので最後まで勉強を続けていった結果が欲しい。

三つ目は普段の行動、一つ一つの動作を丁寧にすることを心がける。何気なく動いてる時の動作や自分に気づかない癖を見つけて、それが雑なものであれば、直していきたい。

物を置くとき、歩くとき、ドアを閉める時、などなどね。

全部、誰かがどうにかしてくれることではなく、自分の意志と行動で変えていけるもので、その結果を受け取るのも自分自身。

結果を見に行こう。

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