心の傷…

心に傷は誰にでもある。それがどんな内容でも、本人にとってはとても痛いし苦しい。

その傷が出来た時に感じる苦しさから逃れたくなる。

私は精神系のお薬を服用はしていなけれど、病院へ行けば処方をされていたと思う。

処方は依存とは違った事かもだけど、一般的なことだと、過食、ギャンブル、買い物、アルコール、たばこ、他人、自傷、無認可の薬…、とにかく色んなもので自分の苦しみが和らぐものと思って何かに依存をする。

自分もその数個に依存をしていたし、キッカケがあればそのどれもに依存をしていた可能性はある。

苦しみが一瞬は和らぐけれど、また同じように苦しくなっていく。心の傷が消えない状態のまま…

もちろん、傷をつけられただけではなくて、自分も傷つけたことだってある。すべて自分が正しくて被害者というわけでもない。

それも全部ひっくるめて、すべての自分と向き合うことでしか、苦しい思いや心の傷は癒されることはないんだって思った。

体に出来た傷は自分が癒している…治療をすることもあるけれど、傷口は自然と無意識に治っていく。心も時間とともに自然に治る場合もあるけれど、体の傷とは違って意識をしなければ治らない。

難しい…

…平成19年1月19日は、私にとって忘れられない日のひとつ。

この日に感じたことは、心からの幸せと安らぎの気持ちだった。執着を完全に手放せた日だったから。

でも、必ず持っていなくちゃいけないものが自分にはなかった。自分を大切にする気持ち。自分の心の軸、そして、芽生えたものを育てたいという想い。

だからね、結局、この後また数年は苦しい時間を経験しながら、自分と向き合うことをしていくことになるんだけど…。

どんなものに依存をしていたとしても、自分の心と向き合って苦しみがなくなった時、その苦しい時間が気づきとなるって思える。

その苦しい時間に感じていたことを、分析のように話せる。

確実に言えることは、何度も落ちて苦しいって思ってきたけれど、今はその時間があって良かったね…と言えることと、あの苦しみは今なら超えられるのにね…と言えるようになる。

でも、人の感情はつけあがってしまったり、傲慢になってしまうことがある。それは自分も同じこと…

だから、生活習慣を見直して始めたことは続けていきたいと思う。

当たり前なんて何一つない。だから…一つ一つを大切にしていく。。

それは、完璧にすることとは違うんだ。失敗もするし、忘れることもある。

ただ、自分と向き合う目の前にある事柄を一つ一つ大切にする。もちろん、自分もね。

過去の苦しい時間というものが、未来の自分にとっては気づき。

気づきと感じられた今は、自分の心に芽生えた想いを育てることと、心地よさを感じることしか思い浮かばない。

ねえ、過去の私…、あなたの未来にはこんな穏やかな気持ちになれる時間が来るんだよ。

信じられないと思うけどね、今の私も信じられない(笑)

でも、本当にこの穏やかさが心地いいんだ(*^^*)

今日も時間をありがとう。

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