自分らしく生きるってなんだろう…

自分らしく生きるってよくわからなかった私。

自分の感性に響くものを選択していくことはわかるけれど、選べない場合もあった。

そうすると…無意識に自分の感性や直感で選びたいものを抑えて、気づけば自分は何がいいのかわからなくなる。

目次

無意識の鍵を見つけた

自分の心の奥に閉じ込めた想いがあることに気づく無意識の鍵を見つけたの。

でもそこを開ければ楽になれるのにめちゃめちゃ抗うの。

本当は苦しいんだけど、自分が閉じ込めたという感覚なんてないからね。

何かあるのはわかるけど、開けてしまうことで何かが変わってしまうことの方が怖かった。でも苦しいのは嫌、、って矛盾になる。

何度も何度も同じ繰り返しが起きる。

環境を変えても同じような出来事が起こる。

抜け出せなかったなぁ。

自分の感性を許す

自分の想いなのだから許すって変かもしれないけど、私には必要だった。

【こう感じる私の想いはダメかもしれない】

いつもそれが念頭にあるから、本当に自分が選びたいものがわからなくなっていた。

自分の想いをダメって思う心境になるまで環境や経験などが蓄積された結果だけど、自分の感性を認めてあげられなかったんだよなあ。

。。

例え話

車とブランドバックの価値。

★車が好き、ブランドバックは興味なし

★ブランドバックが好き、車は興味なし

★車もブランドバックも好き

★車もブランドバックも興味無し

正解とかはなくて自分が選びたいものを選べばいいだけのことが出来なかったのよね。

自分の感性が何を求めているのか、

わからないのもあるけれど、許してはいけない…が大きかったかもね。

自分の感性を大切にしていいの。

誰かの感性はその誰かの大切なもの。

自分の感性は自分の大切なもの。

自分の感性を感じることが出来たら…

自分の感性を大切にすることをしていくと、今までしてこなかった行動を始めた。

周りの目を気にしながら選んでいたものが自分の興味だけで選べるようになる。

どんどん自分の好きなものが増えていく。

これって当たり前のことじゃない?…と疑問に感じる人もいる。

それが当たり前に出来ない環境や心境になってしまうと、本当に選べなくなっていくんだよね。

自分の感性を自分が感じることを許せるようになりたかった私。

許してしまうことは誰かの感性を否定することではないのに否定されいた私は勘違いしていた。

もし自分で選んだ感性を否定してくる誰かがそばにいるなら、離れる選択を出来るようになる。

誰かと自分を比べる必要ない。

誰かと同じものに興味があったとしても、自分と誰かは別々の人だから、この先の未来で得るものは全く別のもの。

語学で言えば同じように勉強してても同じように取得出来るわけではない。

進歩状況は誰かと比べるのではなく、昨日までの私と比べてみるようになれた。

誰かと比べちゃうと出来ない自分ばかりを見て、自己否定が始まっていく。

。。

今は思う。

初めて韓国語を見た時はちんぷんかんぷんだったけど、少しは読めて聞き取りも出来るようになってる自分がいる。

料理上手の友だちと比べて、出来ない自分はダメだなぁって思うこともあったけど、友だちが楽しいと感じるみたいに私には料理に興味がないのかと思う。

比べることが無駄な時間だと感じる今があるから、過去の私に感謝だよね。

今は比べることに時間を使いたくないと思うから、それに気づかせてくれた過去の私の時間はとても貴重なものだった。

自分らしく…自分の感性の感じるままに

幸せだなぁとたくさん感じる。

それは今まで感じなかったことにも…

気づけてなかったこともたくさんある。

当たり前ではないのだけどね、空気が当たり前のようにある感覚と同じように自分の気づけていないことがある。

それはとてもたくさんある。

窓を開けて爽やかな風を感じる清々しさが今あった♪

自分の感性がとても大切に思えると誰かの感性も大切だと思える。

自分を忘れて誰かの感性ばかりを見ていた時は、きっと誰かの感性を大切に思ったのとは違うの。

誰かの感性を大切にするから私の感性をどうにかしてっていう感じかな。

自分を大切にしていくと自分らしさがあったなぁと感じた今日この頃。。

幸せだなぁ私(*^^*)

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